
東京教育大学を卒業後、東京都立大学大学院を修了。その後、法学博士となり、EWC奨学生として、ハワイ大学及びカリフォルニア大学大学院に留学。フルブライト客員教授として、また、東京経済大学在外研究員として、イギリス、アメリカ、オーストラリアなどの大学で熱心に研究。そのような中、50歳のときに白内障と網膜変性の合併症により失明。現在、東京経済大学現代法学部特認教授、全日本盲導犬使用者の会副会長・法制部長。日本盲人専門家協会の副会長として御活躍中。この日は隣に竹前先生の2代目のアイメイト「エディ」ちゃん、奥様の淳子様にお座りいただきました。
■わ〜!たいへんだ!!
「私が失明したのは50歳、人生の上でも油が乗り切った時でした。数年前から網膜色素変性と白内障の合併症で視力が弱ってきていたものの、目薬によってよく見えることが3年ほど続いてました。ところが帰国後の眼科でおこなった視力検査によると、一番大きい0.01の文字が見えなくなっていました。まさにお先まっくらでした。
視覚障害というものは、よく目をつぶった状態と言われています。
「皆さん、目を閉じてみてください。」
・・・・・・・(会場の参加者全員が目をつぶる)・・・・・・
「うわ〜!大変だ〜!」(竹前先生)
(参加者が目を開ける)
みなさん、目をお開けになったのではないですか?ここが晴眼者と視覚障害者との決定的なちがいなのです。晴眼者は目を閉じていても、危険が迫れば目を開けられる。しかし、視覚障害者は何があっても目をあけることができないのです。
■真っ暗な海野底へ
私が感銘した本にイギリスの宗教哲学のジョン・ハルという「タッチング ザ ロック(岩に触れて)?ある盲人の体験? この本が日本で「光と闇を越えて」という題名で翻訳出版されました。失明する前は、船に乗ってる状態に例えられます。そして失明をその船が沈没してずんずん真っ暗な海の底に沈んでいくと例えています。また、出口のないトンネルにも例えられています。後ろに光のある入口(目の見えていた時)を背に受けて、出口のない暗闇へどんどん進んでいかなければならない、まさにその通りです。
■手で見た彫刻「考える人」
視覚障害になるということは、足で触れているか、手で触れているか、その範囲しか認識できないのです。私がパリに行った際、ロダンの「考える人」の彫刻を1つ1つ手で触りました。教科書で覚えた彫刻とそっくりでした。目で見えないところまで手で触れることによって見えなかったところまで認識することができました。私たちは、手で触れて見る、足で触れて見ることが確実に認識する方法なのです。
■前向きになれたきっかけは・・・
妻の顔も、子どもの顔も、友人の顔も故郷の山河ももう二度と見えない、針の先の穴でも開いてくれたら見たいと、居てもたってもいられない焦った消息感、絶望に陥りました。私は市役所で相談に行きました。そこで紹介されたのが、生活訓練をしてくれる東京都心身障害者福祉センター、また、私の目になってくれる朗読奉仕グループでした。東京都心身障害者福祉センターでは、時計の文字盤を使って食事のとりかたを覚えたり、白杖による歩行訓練などを学びました。
そんな中、ベトナム戦争で手足を失ったベトナム人が、私が訓練を受けていた施設にきました。彼はは口で点字をなぞったと聞きました。
私には手もある、足もある、口も耳もある。目玉のひとつや二つ無くても、耳や手から情報を得たり、口で話せばいい!こんな事でへこたれててはいけないと前向きに生きる決意をいたしました。。また、同じ視覚障害者にたくさんの元気をいただきました。
■障害者を宣言して良かった
そして白杖に頼った生活が始まりました。
しかし、中途障害の私にとって、白杖での生活は多々の困難は待ち受けていました。町中を白杖で歩くことは大変危険だったのです。
見えていた世界から音だけの世界への切り替えがなかなかできなかったのです。白杖を持つことさえ、人目にさらすことに恥じらいを持っていました。自分が視覚障害であることを社会に宣言することを躊躇していました。あるとき、大学の教壇で講義をしているとき、教壇からスト?ンと落ちてしまいました。白杖はカバンにしまっていたものですから、生徒は私が全く見えないことを知りませんでした。ですから、生徒が皆笑うのです。
そのとき私は初めて、生徒に失明したことを伝えました。私と対話する場合は皆さんの方から声をかけてくださいと言いました。そうすると授業の前になるとボランティアで生徒が私を迎えに来てくれました。そのように、自分が障害者であることを宣言しますと、肩の荷がおり、非常に楽になりました。
■3つの意味をもつアイメイト「ネモフィラ」
白杖での生活から10年、妻の淳子が盲導犬の使用を提案してくれました。犬があまり得意ではなかった私はしぶしぶ、最寄りの日本アイメイト協会見学に行きました。アイメイトの「アイ」には3つの意味があります。私「アイ」、目の「アイ」、愛するの「アイ」です。
そして、犬とのお見合いをしました。それがネモフィラとの出会いでした。ネモフィラと私の訓練が始まりました。排便の訓練では、おしっことうんちの区別がなかなかできず、うんちだと思い、探して処理しようとすると、立てていた片膝をネモフィラのおしっこで汚したこともありました。続いて服従訓練が始まりました。ストレートやレフトの英語の号令に合わせて指符でもって服従訓練をしました。しかし、ライトと言いながら、手を左にしますと、左にいってしまいます。本当にこの犬は英語が分かっているのかな??と思うこともあります。(笑)
■バリアフリーが時には障害に
最近は、町中にでますと、車椅子の為に段差を削っています。ところが、段差で一旦止まるように訓練をしているアイメイトと私にとっては段差がないということはとても困ります。アイメイトが段差で止まらなくなるのです。大変危険です。
しかし、目の前を車が走っている交差点などでは私は「ゴー」と言っても、アイメイトは私の号令には従いません。これを不服従といいます。危険な場合は不服従する訓練を受けているのです。
交差点にいますと、たまに「犬は信号が見えるのですか?」と聞かれることがあります。犬は一般的に色盲で色がわからないと言いますが、本当のところは犬に聞いてみないと分かりません。主人が車の進む方向、人の方向を判断してアイメイトに号令を出しているのです。
■電車で腰を下ろすとなんと・・・
電車やバスで席を見つける訓練もしました。空席を探す号令「チェア」と言うと、アイメイトは開いている席を見つけ、顎を乗せて、空席を教えてくれるのです。
ある日、電車で「チェア」と号令しました。アイメイトが空席を見つけ、顎を置いたので、私はそこに腰掛けました。するとその席は実は人と人の間で、10センチほどしか隙間がなかったのです。それを知らずに座った私は、どなかたの膝の上に腰を下ろし、恥ずかしい思いをしたこともありました。それ以来「チェア」の号令は出してません。
アイメイト、ネモフィラと私の訓練に合格がでたとき、嬉しくて涙がでました。歩くことに自信をつけました。病気になって初めて健康のありがたさを思い知ると言いますが、私の場合、視覚障害者になって初めて、盲導犬を使って歩くことができるありがたさを知りました。健常者の方にもその大切さをかみしめていただきたい。神から与えられた歩くことの機能に感謝していただきたい。
■私、根が正直なもので・・・
アイメイトと共に行動することにより、アイメイトの存在に、今まで声もかけてくれなかった人々からたくさん声をかけてもらえるようになりました。
「ネモちゃん、ネモちゃん」と頭をなでます。しかし、ハーネスをつけているときは、アイメイトは仕事中ですから、気が散るのです。
アイメイト協会からは、仕事中、アイメイトの名前を教えてはいけませんと言われました。花子です、とか栄治ですと名前を言いなさいと言われました。ところが、私は根が正直ですから、嘘をつけないのです。ついつい「ネモです」と言ってしまいます。
なんかネモの様子がおかしいな?と思い、ネモの背中を触ろうとすると、小さな子どもの手が一生懸命ネモの体をなで回していた事もありました。
ある時は焼き鳥を運ぶおばさんがネモに焼き鳥を与えていたこともありました。ネモの様子がおかしくて、顔を触ると、ネモが串をくわえていたこともありました。そのようなことをされると訓練が台無しになります。
10年ほど前ですが、チョコレートを無理やりくれた方もいました。私がお断りすると、私のポケットに大きなチョコレートを入れられたこともありました。最近は宣伝効果もあり、盲導犬に対するマナーも整ってきました。
■ネモ効果
大学でも非常に喜んでネモフィラを受け入れてくれました。大学の新聞にネモフィラの写真を大きく載せ、「呼んではいけません、口笛を吹いてはいけません、触ってはいけません、ものを与えてはいけません」などの盲導犬に対するマナー10か条も掲載してくれました。
講義でもネモが来てからは、がやがやしていた大講義室が水を打ったようにし?んと話を聞いてくれます。ネモ目当ての女子学生が多いのです。その他、中学校の講演などでも、校長先生に「こんなに熱心に話を聞いたことは初めてです」と言っていただきました。結婚式にもネモを連れていきました。皆さん大変歓迎してくれます。こういった効果を妻の淳子は「ネモ効果だ」と言います。ネモを連れて行くことで得することがたくさんありました。
■「挨拶しろ!わんわん」
アイメイトもどんなに訓練を受けていても、家に帰ると普通の犬に戻ります。よくテレビで盲導犬は吠えません、噛みませんというふうに、非常にいいことを言いますが、盲導犬使用者の会で「そんなスーパードッグはいないよね」と言います。ネモをベランダにつないでおいた時などは、家の前を通る人が「ネモちゃん」と声をかけてくれるとしっぽを振って喜びます。黙って通る人に対しては「ワンワン」と挨拶をしていきなさい!と吠えて自分の存在を知らせます。そうすると、ネモの声に気づいた人が「ネモちゃん」と声をかけ、ネモは大変嬉しそうにしっぽを振ります。
■盲導犬だっていたずらするよ!
靴を履こうと足を入れると、靴のさきがない。「あっ、ネモが食べたんだ」そんなこともあります。ひもをかみ切ったこともあります。どういうときかというと、私が会食中にネモを机の下で休ませていた時、夢中になって美味しいものを食べ、話しをしているとき、ネモは自分が放っておかれたと思ったのでしょう、帰りにコリコリっとひもをやられました。
私の講義中、小さな小銭入れのジッパーを残して、全部食べてしまったこともありました。
石鹸も食べてしまったこと、トイレットペーパーを全部散らかしていたずらしたこともありました。
■盲導犬を持って良かった
雨の日でも寒くても、暑くても、必ず散歩に連れて行かなければいけないということ、それは私の健康にもつながっています。
ストレスがたまった時などは、ネモを触っていると、す?っとストレスが消えていく。ネモは私のストレス解消にもなっています。また、ネモと出会わなければ決して出会わなかった市民の方とも友達になれたこと、人間の輪、絆が広がりました。
■ごめんよ、ネモ
しかし、なかなかネモを受け入れられないこともあります。ゼミでの追い出しコンパに居酒屋に呼ばれた際には、店側にネモを拒否されて、非常にカッカッして帰りました。カッカッしていた私はコントロールを謝ってネモを、ホームから線路に落としてしまったことがありました。幸い、乗客の1人がネモを拾い上げてくれましたが、私は断られてもカッカッしてはいけないな〜と思いました。それからは断られると、おとなしく交渉して理解をしてもらように努力してきました。
アメリカやオーストラリアなど外個では、人権侵害の訴訟を扱う救済機関、罰則付きの法律があります。日本でもこういった制度が必要と思い、介助犬を育成する会がありましたので、公的な施設はもちろん、公共交通機関、住居も盲導犬を断ってはいけないという身体障害者補助犬法を作ってもらいました。
しかし、法律ができても、まだまだ断るレストランや施設もあります。皆さんのあたたかい理解と協力があってこそ法律は有効に働きます。
■目には見えない大切なものが見えてきた
私が障害者になって、どのように心の目が開かれたというと、私は視力は失いましたが、今まで見えなかったものが見えるようになったということ。弱者の立場を理解することができた。盲導犬使用者がレストランやホテルにはいれないことがどんなに苦しいことか、点字ブロックの上に自転車などが放置されているとどれだけ危険かなど。選挙で勝てばダルマに目を入れます。つまり視覚障害者は片目であって、勝った人は両目に目が入る。障害者は敗者ではないかということで、ダルマに目をいれることをやめろと訴える人もいます。また、子どもが悪さをすると、目がつぶれますよ!とお母さんがいうこともあります。これは視覚障害者がいつもわるいことをしているのかと、非常に差別用語であること。
目では見えないものの本質を理解することができました。
もののバリアフリーがすすんでいますが、心の目を開き、心のバリアフリーに、多くの方々に気付いていってほしいものです。
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